のなめブログ

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パラッパラッパー

僕は好きでくよくよしてるんじゃないだろうか、と最近本気で思う。

イギリスでライブが成功しても、恋人が出来ても、好きな音楽を聴いていても、散歩をしていてもコーヒーを飲んでいてもチーズカツパンを食べていても、結局くよくよしている。

それは僕がくよくよするのが好きでくよくよしている証拠なのではないだろうか。

他人が内気になってぐずぐずしているのを見るのはそりゃ僕もいらいらしてしょうがないが、気持ちはわからなくもない。

自分だってしり込みして前へ進めていないのだから。

僕は何か始めようとして少し足を踏み入れ始めたところで、だいたいは何かしらの小さな要因によって妨げられてしまう。

貫くことができないとは思わないし、貫くことができれば幾分自信につながるだろうと思ってはいるが、やりたくなくなってしまう。

そしてあぁやっぱりだめだったと、くよってしまうのだ。

先日どこだかが主催する「自己分析セミナー」に出席したときの話。

基本的には、グループに分かれて自分のことについてあるテーマに沿って順番に発表していくというスタンスだ。

もちろん大学も学部もバラバラの知らない人同士でやるのだ。

「自分の短所は何ですか」というテーマについて。

僕の隣に座っていた男は、学生団体を立ち上げて知り合いを作りながら情報を集めて、みたいな結構頑張り屋さんだったのだが、彼はこのテーマについて

「僕の短所は、思いついたことはすぐ行動に移さないと気が済まなくて、無鉄砲に何でもかんでもやってしまうところです」

と発表した。

それを聞いた僕は真っ先に「気持ち悪い」と思った。

「あぁ、彼は僕とは違った性格を持っているんだな」という感想ではない。

「気持ち悪い」だ。

そういう性格は大人の人からは好かれるだろうし、同年代から見ても「おっいいな」と思われやすいことは間違いないのだろうが、僕は瞬間的に凍り付いて「気持ち悪い」と思ってしまったのだ。

僕がそういう性格をそこまで嫌うのだから、それだけの理由があって、それだけ自分の主義に安堵していたいという思いが強いのだろうと思う。

つまり、で結んでよいのかどうかわからないがつまり、僕は好きでくよってるんではないだろうか。

それを見て「あのこ何だか情けなーい」とか「頼りなーい」とか思われてしまってはしょうがないのだけど、好きでやってるんだからしょうがない、という言い分もある。

そもそも僕は細かいことにいちいちこだわるのが結構好きだし、ウダウダと屁理屈をこねて小難しい話をするのも好きだし、世間的に「たくましい」などと言われているようなことが嫌いだ。

「たくましい」ことは大いに結構だと思うけれど、世間が思っている「たくましい」はこれっぽっちも好きになれない。

あーれまた偏屈になってきたなぁ