のなめブログ

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変化している

最近のマイブーム、というか気をつけていることは「変化を受け入れる」ことだ。 人は時間を経て環境を変えて少なからず変化するものだ。

昔は広島カープに骨を埋めるつもりだった新井貴浩選手も、 外部環境の変化や自分の身体の変化があれば、そりゃあ心変わりして阪神タイガースに移籍もするわ。

はたまた、10代の頃好きだった異性が50年60年経って今も大好き、 という話は大昔はあったのかもしれないが、 同じ熱量で50-60年後の同一人物(のおじいちゃんおばあちゃん)を大好きでい続けることは、 基本的になかなかハードルが高いと思う。

政治的思想にしても、学生の頃は左翼寄りの考え方をしていたが働いたら右翼寄りになってきた、 というのは起こりうる話で、それは決して考え方の「芯が通っていない」ことではなくて、 本人の「経験の積み重ね」と「外部環境の変化」がもたらした対応の変化だ。

この発想に基づいていうと、同じ空間で同じ時を長く過ごした学生時代の同志は、 その当時は一生の友達だと思ったかもしれないが、その先の進路が異なってしまうと、 なかなか当時のテンションと距離感を維持することは難しいと思われる。 毎日登下校の時間を共にした友人が、かたや一流企業の良い肩書きを得て、 かたや定職なしのフードデリバリー配達で食いつないでいたとしたら、 久々に飲みに行こうよとなっても、当時同様対等な関係で接することは難しいだろうと思う。 「そんなの気にするなよ」と言ってくれる優しい友人だったとしても、 お互いの経験の差がもたらした変化の幅が小さかった場合と比較して、 大きかった場合の方が溝は深く感じがちであると思う。

男女の話に戻すと、あるいは昨今は同性パートナーにも配慮すべきかもしれないが、 例えば夫婦やカップルも「同じ(or似た)環境」に「居る時間が長い」から関係が継続するのであって、 その前提が崩れたら(状況が変化したら)簡単に関係も崩壊してしまうんだろうなと、 特に最近思うようになってきた。 人間は内面的に「変化する」生き物だし、外部の変化に「対応する」生き物だからである。 これは、パートナーに対する愛情がドライになってきているということではない。 むしろ今の関係を長く継続したいと今思うのであれば、 「今を大事にしろ」ということなのだろうと、自分では解釈している。 「今を大事にする」意識もなくだらだらやり過ごしていたら、 知らぬ間にお互いに勝手な方向に「変化していってしまう」のである。

一方で、好き嫌いや憧れなどの「変化」はあるかもしれないが、 仕事の「向き/不向き」に関してはあまり「変化」はないような気がしている。 好きだった仕事が嫌いになったり、その逆もあるだろうが、 もともと向いていた仕事が不向きになったり、もともと不向きだった仕事が向いている仕事になる、 というケースは統計的にもレアケースな気がする。 でも、仕事の向き/不向きを見極めるのは実際にその仕事をしてみないとわからないので、 この問題は割と根が深いと思っている。

少し話が横道に逸れたが、今は「人は基本的に変わるものだ」と思って生きている。 「あの人この間と言っていることが違うな」と思うことがあっても、 それは必ずしも「この人の言うことには一貫性がないので信用ならないな」とはならず、 「何か変化したんだな」と思うようにしている。 それが人間として普通のことなんじゃないだろうか。