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好きな数字何ですか?

好きな数字は何ですか
 

好きな数字は何ですかと聞かれて、昔から一貫して自分はこれです、

という解を持ち合わせている人というのは結構少ないような気がする。
 
子供の頃は何でも「一番」じゃないと気が済まなかった人もいるかもしれない。
あるいは中学校や高校に行くと好きな人の学籍番号が気になったりとか、
その時人気のあったスポーツ選手の背番号だったりと、
「好きな数字」はその人の生き方や外部環境によって左右されやすい。
あるいは「数字」という概念自体が、我々にとってそこまで固執するほどのものではなく、
別に好きでも嫌いでもなく当たり前に接するものということなのかもしれない。
 
 
「6」と「24」が好きでした
 
自分は当時大きく「6」がプリントされたトレーナーがお気に入りだったので、
小学生の半ばは「6」を好きな数字ということにしていた。
やがて読売巨人軍高橋由伸という天才が入団したことをきっかけに「24」を好むように。
その数年後から何故か広島東洋カープのファンへ寝返って現在まで至るということは
言うまでもない。
 
 
もはや改宗ともいうべき、贔屓プロ野球チームの変更という人生の大きな決断を
若干小学5年生頃に下した自分にとって、もはや「好きな数字」の変更などいかに軽いことか。
軽いというか、はっきり言ってどうでも良いですよね。
 
 
ところがその、人生の好みや様々な判別がまだつかない小学生時代から今まで、
何となくだけど、好きで私を魅了し続ける謎の数字のジャンルがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは、素数である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
素数を知っていますか
 
素数とは、整数のうち1とその数自身の2つでしか割り切ることができない数字のこと。
例えば2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19など。
素数ではない数字は、4, 6, 8, 9, 10, 12, 14, 15, 16, 18 など。
 
 
素数の何がそそられるのか
 
ユニークさというか唯一無二感というか、独自性というべきか。
素数の性質について、整数のうち1とその数自身の2つでしか割り切ることができない数字のこと
という風に述べましたが、1で割れる整数というのは全てなわけで、
これはフィルタリングとしてはあってないようなものなんですね。
重要なのは、1以外に「その数でしか割り切れない」、
つまり1とその数で割ろうと思うと、余りか小数点ができてしまう。
 
例えば12, 24, 36, 48, 60あたりの比較的約数の多い数字が、
日常生活の中で計算がしやすい数字であることはわかっているはずです。
時計の1周が12時間刻み、1日は24時間刻み、その3倍と4倍が36, 48で、
1分が60秒だったり1時間が60分なのは比較的有名なので、
この辺りの数字は文系の我々にとっても結構馴染みやすいですよね。
何故馴染みやすいかというと、
例えば60分という時間は半分にもできるし、3分の1にも4分の1にも5分の1にも6分の1にしても
解が整数なので文系頭にも想像しやすいから。
これは、約数(60分の例でいうと、3,4,5,6みたいな子達で割ったときに整数で答えが出る)が多い数字
というのは計算がしやすいのでみんなに好かれる(だから時計は60秒・60分刻みになっている)
という証拠ですよね。
 
 
「59」と「60」と「61」の差
 
約数の多い60という数字は便利でみんなが使っている。
逆に、使い勝手の悪い数字って何なんだろうか。
素数の魅力への第一歩はそこ。
どこに行ってもうまく馴染む、公約数をたくさん持ち合わせている人材を
日本企業は大好きすぎる傾向があるのではないかと勝手に分析しております。
それではいつまで経っても御社には「60」みたいな人材ばかり集中してしまって、
60に1つ足らない59や1多いだけの61(けど素数=独自性持っている)みたいな
人材は寄ってこないよ。ということを言いたい。
 
 
素数組の奮起
 
とはいえ、素数を与えられた(もしくは背負うことになってしまった)人間は、
結果を出さなければ約数の王者(ex.60)に太刀打ちできない。
偶然のいたずらかもしれないが、私が20年くらい応援する広島東洋カープでは今年、
2, 5, 7, 13, 17, 19, 23, 37, 53ら個性派の実績組が苦戦を強いられている。
背番号の大小はともかく、素数の背番号を球団から与えられているというのは
実力プラス個性・独自性を評価されているのだと過信した方が良いのではないか。
 
素数をもらった人間は特別な存在なので、その個性を存分に発揮してもらいたい。