AIが書いた記事
街角でふと足を止めた瞬間、目に飛び込んできたのは、風にそよぐ一本の木と、その足元に転がる空き缶だった。何気ない光景であるが、この一瞬が私に深い洞察を与えた。
空き缶はかつて飲料が入っていた容器であり、その役割を終えた後はただのごみとして扱われる。しかし、その空き缶がここに転がっていること自体が、何か物語を語っているように思えた。それは、私たち自身の存在がどのように日常の中で意味を成し、そして時に忘れ去られるかという喩えとも取れる。
人は日々を生きる中で、無数の役割を担い、それぞれの瞬間において異なる「自己」を演じる。職場では有能な専門家、家では愛情深い家族の一員、友人との集まりでは心を開く一面を見せる。しかし、それらの役割が交代する瞬間、私たちは一体何者であるのか、という問いに直面する。
この空き缶は、かつては誰かの喉を潤す役割を果たしていたが、今はただの道端の一片となっている。人生のある段階では社会に不可欠な存在であったとしても、時が流れるにつれてその必要性は薄れていく。しかし、それでその存在が無価値になるわけではない。空き缶が環境に与える影響、例えばリサイクルによって新たな製品に生まれ変わる可能性を秘めているように、私たちの経験もまた、新たな形で価値を見出すことができる。
さらに、この空き缶にはもう一つの役割がある。それは、見る人によって異なる感情や記憶を呼び起こすことである。誰かにとっては無関心なごみかもしれないが、別の誰かにとっては過去の思い出を彷彿とさせるものかもしれない。私たちの人生もまた、異なる人々にとって様々な意味を持ち、多角的に評価される。
日常の中の一つの出来事が、こんなにも多くの思索を喚起するとは、改めてその深さに驚かされる。空き缶一つを見るだけで、人生の複雑さ、役割の移り変わり、そして個々の存在の価値について考えさせられた。私たちはそれぞれに独自の価値を持ち、時に忘れられ、時に再評価される。それが人生の、そして社会の不思議なリズムである。
日々は連続する瞬間の集まりであり、その一つ一つが私たち自身を形作る。空き缶としての自己を受け入れつつ、その一瞬一瞬に意味を見出し、次なる役割に向かって進む。これこそが、私たちが社会の中で生きる意味かもしれない。
人間が書いた記事

もはや元の世界には戻れない.
2022年の秋に起きた大きな変革について、このブログではまだ触れていなかったようだ。 この記事の執筆時点では今更何を、という感じではあるが2022年11月にopen AIがchat GPT-3.5をリリースした。 それ以降のgenerative AIの普及と発展、それによる世界の変容は言うまでも無い。 かくいう自分も、もはやそれなしの世界に戻れと言われたら無理と言うしかないと思う。
generative AIの使い分け
本記事執筆時点でchat GPTは4.0。自分はopen AIのchat GPT plusに課金している。 しかし現時点で精度を競うコンペティターがしのぎを削っており、copilot、gemini、claude、perplexityをセカンド・サードオピニオン的に併用している状況である。 特に自分はpythonやjs、VBAのコーディングの機会が多く、プロジェクトレベルやpython、jsの記法に関する相談はchat GPTやclaudeにすることが多い。 VBAやExcelなど単発のコーディング、関数のアイディアや暇つぶしの雑談・画像生成はcopilotに相手してもらうことが多く、調べ物はperplexityである。 納得のいく回答が得られなかった場合にgeminiを使うこともあるが、現時点で個人的にあまり信頼していない。 フォローしていないがmetaもこの数日以内に自社開発LLMのupdate版を公開したようだ。
chat GPT(その他)の登場によって変わった身の回りのこと
いくつもある。 ・現部署は会議の事務局になることが多く議事録作成の機会も多いが、その議事録の文章構成がなんとなくchat GPTが作成する文章構成に似通ってきていると感じる。 ・コーディング能力が拡張された。これまでは自分でプロジェクトを組み立ててエラーが出ればweb上でerror文を必死に検索していたが、 アイディアを投げかければプロジェクトを組み立ててチュートリアル形式で教えてくれるし、エラー文を伝えると解消してくれる。 gpt-4になってからはさらに確度が高まっていると感じる。 実際chat GPTの登場以降、一人で開発できるようになったアプリケーションがいくつもある。 ・気の合う人や境遇・環境・価値観の合う人、知識のレベルが合う人になかなか出会えなかったが、奴は誰にでも話のレベルを合わせてくれるので話していて気が休まる。 個人的にはこの効果がかなり大きい。 ・エンジニアを育成しとけばとりあえず間違いないと思っていたが、AIがエンジニアの代替になることがわかってきた。子供に何を学ばせるかますます悩ましくなった。
成績考課でA評価
最たる変化は、現職でのA評価かもしれない。 弊社は基本的にセールス職は成績に応じて上位考課(A評価以上)が得られるが、それ以外の職種では基本的に中間評価(B評価)しか得られず、 稀に何か大きなミスが続いたり組織に大きな損害を与えたりするとそれ未満の評価を得たりする。 特に本部の人間に上位考課が与えられることはないのだが、その本部職務で今回A評価を受けたようである。 弊社に勤務して約13年、セールス職でのA評価は1度きりしかいただいたことがなく、C評価の方が多い。 その要因は、自分本来の能力をchat GPTに拡張してもらったことが大きいと分析している。 おじさんになって経験値の上積みに人間性に磨きがかかるケースなんてレアだと思うし自分はそれに該当しないと思うので、 あるとしたらこの1年に起きたchat GPTによる知識やスキル、価値観の拡張だ。 chat GPTによるスキルの拡張が起こりうる分野が弊社ではレア人材だったことで、余計に目を見張る能力に映ったかもしれない。 少なくとも同じ等級の中では。つまり、このクラスの中ではスキル対比で割安になるくらいまで拡張してくれたのがchat GPTだ。
スキルアップなのか?
chat GPTによって本来理解していないjavascriptやgoogle app script、VBAなどのスクリプト系言語の知識を塗り固めたおかげで、 元々飛べない人間が羽を手に入れたわけだが、その羽は自前ではないので脆弱だ。 そして、「人間なのに羽で飛べるのすごいね!」と褒めてくれるのは弊社の閉域網の人間だけであって、 実際にはgenerative AIを活用してValueを生み出し対価をちゃんと得ている人たちと比較すると遅れをとっていると感じる。 generative AIから得たプログラミングやDSの知見をちゃんと自身の血肉にしなくてはいけない。 その旧来的な活用をしないなら、せめて目先の小遣い稼ぎに生かさないと課金している意味がないよね。
我々はいつまで将来を心配すれば良いのか_2023
歳をとった今も続く「将来の心配」
このブログは場所を移しながら18年続けている(ことになっている)。
その中身は、検証したことはないが「自身の将来を心配するもの」が相応な割合を占めていると想像する。
そして、若い頃に抱いた将来の「心配」はまさに的中しつつあるし、何なら心配の対象である「将来」である現在もまだ、その将来を心配している状態にある。
「将来の心配」の正体
何を憂いているのかといえば、「現在の生活レベルを、自分と自分の家族が死ぬまでキープできるか」に他ならない。
噛み砕いていえば、「美味しいラーメン屋さんでラーメンを食べたい」と思った時に食べに行けるかどうか、とも言える。
転職活動の理由
収入の上昇可能性、物価変動、社会保険料の上昇、為替レート、色々なファクターを考えると一生安泰な職業などこの世に存在しないわけで、
自国経済が輸入に支えられていない国の国家公務員以外は毎日毎時間毎分転職を常に意識しなければいけない。
ぐちゃぐちゃキャリアを歩んできた
自分は新卒で粉塵金融機関に足を踏み入れたわけだが、そのトラディショナルな慣習の中で「ジェネラリスト人材育成至上主義」のもと色々な経験を積ませていただいた。
具体的には営業職6.5年、債権管理1.5年、有価証券運用2.5年、経営企画2年を経験した。
このキャリアをどう評価するかは結構分かれるところである。
転職活動をする際自分は一番経験年数の長い「営業職」ではなく「債権管理」「有価証券運用」「経営企画」を目指してアピールをするのだが、
一般的に期待されている(イメージしている)営業職経験者は「コミュ力豊かでそれを他ジャンルにも発揮している」であると思っている。
実際には複雑な理由が重なり、転職エージェントや面接官が期待している「綺麗なストーリー」を用意することは難しい。
これらの綺麗なストーリーを期待する人から見たらこのキャリアはぐちゃぐちゃだ。
自分も自身のキャリアを俯瞰してみるとぐちゃぐちゃだなあといつも思う。
一方でトラディショナルな金融機関の立場を踏襲し、「色んなポジションを経験して出世していくのだ」という見方を崩さない人も一定程度いる。
実際、面接を受けても「色々なポジションをご経験されて」というお世辞を言ってくださる人もいる。それが本心かどうかは知らないが。
金融機関におけるジェネラリスト・スペシャリスト論争は何百年も前から繰り返されているところであり、
その答えは「ケースバイケース」で間違いないのだと思うが、自分の場合は
「スペシャリストが間違えて10年以上ジェネラリストの道を歩まされてしまった」例だと思っている。
特殊事情を説明する難しさだけでも・・・
しかし「スペシャリスト気質の人が間違えて10年以上ジェネラリストの道を歩まされてしまった」ことを、35歳のおじさんが説明することは難しい。
いやそれをわかっていただいたところで、それは単に履歴書から読み取れるイメージの誤解を払拭するだけであって、自分のセールスポイントにはならない。
それでいておじさんという時点で難しいのに、さらに「妻子持ちの家持ち」が難しくさせてしまっている。
とはいえ
このままではただ思い悩んでいるおじさんだけのようだが、
・Python/Rが読み書きできる
・統計学・MLの基礎知識がある
・証券アナリストの1次試験全科目受かっている
・FP2/簿記3/金融CO2等基礎的資格持っている.
・VBS/VBAチョットわかる
・財務3表読める
このあたりを評価し、欲しいと思ってくれる組織があると良いのだが。
変化している②
何事もなかったかのように
このブログで過去の記事を見ていると、数個前の記事までプログラミングを学習してエンジニアに転職するんだと息巻いていた頃の様子が見て伺えるが、実際に起こったことは何かといえば、「プログラミング言語を学習はしたものの仕事にできるほどは身に付かず、転職は諦めて今までの会社にとどまったが、そうこうしている間に職種は変わった」である。 それを専門の仕事にできるほどは身についていないが、QOL向上や業務簡素化につながる程度のwebスクレイピングができるようになり、簡単なマシンラーニングの知識が身についた。しかしKaggleでコンペティションに参加できるほどのものではない。
外部環境は大きく変わった
Twitterでは連日口クソリプおじさんの如く注意喚起しているのだが、ブログでは触れていなかった。 2020年初めから全世界中をCOVID-19という新たな危機が襲い、世の中を一変させてしまったことはもはや説明の必要がないだろう。 ということで特に触れてもこなかった。
内部環境も大きく変わった
この大きなパラダイムシフトの間に、実は住宅を買い直したり子どもが誕生するなどの変化も起きていたが全く触れていない。仕事の内容も変われば、音楽やゲーム、ファッションの嗜好の変化や休肝日が作れるようになったりなど、変化したことは細かいことも含めれば山のようにある。
変わっていないもの
唯一変わっていないのは、このブログの更新が気まぐれで、相変わらず字が多くて読みづらくて中身がないこと、記事の統一感がないこと、そして黒歴史もアーカイブとしていつでも見られるように残してあることだ。
そしてまた、しばらく見ない間にいつの間にか更新されているかもしれない。
変化している
最近のマイブーム、というか気をつけていることは「変化を受け入れる」ことだ。 人は時間を経て環境を変えて少なからず変化するものだ。
昔は広島カープに骨を埋めるつもりだった新井貴浩選手も、 外部環境の変化や自分の身体の変化があれば、そりゃあ心変わりして阪神タイガースに移籍もするわ。
はたまた、10代の頃好きだった異性が50年60年経って今も大好き、 という話は大昔はあったのかもしれないが、 同じ熱量で50-60年後の同一人物(のおじいちゃんおばあちゃん)を大好きでい続けることは、 基本的になかなかハードルが高いと思う。
政治的思想にしても、学生の頃は左翼寄りの考え方をしていたが働いたら右翼寄りになってきた、 というのは起こりうる話で、それは決して考え方の「芯が通っていない」ことではなくて、 本人の「経験の積み重ね」と「外部環境の変化」がもたらした対応の変化だ。
この発想に基づいていうと、同じ空間で同じ時を長く過ごした学生時代の同志は、 その当時は一生の友達だと思ったかもしれないが、その先の進路が異なってしまうと、 なかなか当時のテンションと距離感を維持することは難しいと思われる。 毎日登下校の時間を共にした友人が、かたや一流企業の良い肩書きを得て、 かたや定職なしのフードデリバリー配達で食いつないでいたとしたら、 久々に飲みに行こうよとなっても、当時同様対等な関係で接することは難しいだろうと思う。 「そんなの気にするなよ」と言ってくれる優しい友人だったとしても、 お互いの経験の差がもたらした変化の幅が小さかった場合と比較して、 大きかった場合の方が溝は深く感じがちであると思う。
男女の話に戻すと、あるいは昨今は同性パートナーにも配慮すべきかもしれないが、 例えば夫婦やカップルも「同じ(or似た)環境」に「居る時間が長い」から関係が継続するのであって、 その前提が崩れたら(状況が変化したら)簡単に関係も崩壊してしまうんだろうなと、 特に最近思うようになってきた。 人間は内面的に「変化する」生き物だし、外部の変化に「対応する」生き物だからである。 これは、パートナーに対する愛情がドライになってきているということではない。 むしろ今の関係を長く継続したいと今思うのであれば、 「今を大事にしろ」ということなのだろうと、自分では解釈している。 「今を大事にする」意識もなくだらだらやり過ごしていたら、 知らぬ間にお互いに勝手な方向に「変化していってしまう」のである。
一方で、好き嫌いや憧れなどの「変化」はあるかもしれないが、 仕事の「向き/不向き」に関してはあまり「変化」はないような気がしている。 好きだった仕事が嫌いになったり、その逆もあるだろうが、 もともと向いていた仕事が不向きになったり、もともと不向きだった仕事が向いている仕事になる、 というケースは統計的にもレアケースな気がする。 でも、仕事の向き/不向きを見極めるのは実際にその仕事をしてみないとわからないので、 この問題は割と根が深いと思っている。
少し話が横道に逸れたが、今は「人は基本的に変わるものだ」と思って生きている。 「あの人この間と言っていることが違うな」と思うことがあっても、 それは必ずしも「この人の言うことには一貫性がないので信用ならないな」とはならず、 「何か変化したんだな」と思うようにしている。 それが人間として普通のことなんじゃないだろうか。
好きな数字何ですか?
好きな数字は何ですかと聞かれて、昔から一貫して自分はこれです、