したくないことをする意義について考えてみる。
僕のまわりには、したくないことを「しなきゃいけないから」という理由でする人間がいる。
ゼミやサークルの仕事、付き合いのための飲み会、就活、勉強…。
「したくないならしなきゃいい」という理論は通用しないらしい。
「しなきゃいけない、だからする」のだ。
学生の身分で何をくそ小生意気なこと言ってやがるんだ、と強烈に思うのであるが、口には出さない。
そりゃ僕だって疲れている時でもバイトが入っていればバイトをする。
テスト前になると勉強をする。
朝つらくても山を登って授業を受けに行く。
そういう最低限のラインはわきまえているのだ。
でも、サークルで与えられた仕事は投げ出した。
付き合いの飲み会なんぞも行った試しがない。
就活だって、何かおかしいから進めていない。
「しなきゃいけないこと」をするのは、「しなきゃいけないこと」をするといいことがあるか、あるいは悪いことがなくなるからである。
つまり「した方がいい」から、「しなきゃいけないこと」をするのだ。
僕だって今になって、サークルの仕事をやっておけば良かったと思うし、飲み会で色の違う人とコミュニケーションをとれば良かったと思うし、ゼミも就活も本腰を入れてこなせたら、と思う。
だがわからないのだ。
実際に「しなきゃいけないこと」が目の前に現れると、「何でしなきゃいけないんだろう」とか「本当にしなきゃいけないことなのかな」などと考えてしまう。
この疑問というのは、結果的には間違っていることがよくあるが、でもこの時点では間違っているかどうかわからない。
「何でしなきゃいけないのか」、「本当にしなきゃいけないことなのか」なんてわかりっこない。
もちろんそれを口実にサボるなんてことは悪いことに決まっているが、でも「しなきゃいけないこと」をしなきゃいけない、ということを僕の体はわかっていなくて、目の前に来るとやる気が一気に失せてしまう。
「したいこと」をしようとする気持ちは単純でわかりやすい。
でも「したくないこと」をしようとする気持ちは、複雑でわかりづらい。
気持ちと行動、換言すると心と体がねじれている状態なのだから、そんなムズカシイものが僕に合うわけがないのだ。
でも、そう色々と唱えても結局はただのわがままとか甘えとか面倒臭がりに見えてしまう。
だからやっぱり、そのムズカシイ構造を理解できれば一番楽なのにな、と思う。