個人化がどんどん進んじゃっている、なんていう話はもはやここで改めて力説するまでもないほど当たり前のようになっている。
だがもう一度ちょっと考えてみよう。
日本では個人化が進んでいる。
あんなに協調性を重視して集団で動くことを好んでいた日本人が、まさかである。
複雑な事情は色々あるにせよ、諸悪の根源は「核家族」にあるように思われる。
核家族が登場したことで家父長制が完全に崩壊して、年寄りをいたわる心を忘れ、年上に対する尊敬の念が衰退していった。
その反動で各家族のメンバーは好き勝手に行動するようになる。
みんな自分の都合の良い時間に起き、食事をし、出かけ、帰り、風呂に入り、寝るようになった。
みんなバラバラに行動するのでそれぞれ会う時間も少ない。
食事に至っては時間どころか食う場所もバラバラだ。
家で食う母、会社や定食屋で食う父、学校でコンビニ弁当を食う息子、そしてダイエットでほとんど何も食わない娘。
おかげでコンビニ業界が成長したのは見ての通り。
女性の社会進出というのも重要な要素だ。
女性が社会進出するようになったから個人化が進んだのか、個人化が進んだおかげで女性が社会進出できるようになったのかはよくわからないが。
そのうち日本人は気付きだした。
みんなで動くより一人で動く方が効率が良い。
二人三脚で走るより一人で走った方が速いに決まっているのだ。
牛丼屋の客は一人の客ばかりだし、一人で個室でただ黙々と漫画を読むために金を払う漫画喫茶が流行り、最近は「ヒトカラ」というのもブームになっている。
「ヒトカラ」は「朝起きたら人から犬になってました」というようなとんちんかんなおとぎ話のことではなく、一人で行くカラオケのことである。
カラオケボックスが「ヒトカラ割引」を導入するほど一般化している。
効率という面から発展した個人化も、ここまでくると楽しんでやっているように見えてくる。
人々は、他人の侵入を一切拒んで自分一人の空間を作ることで安心したいのだ。
エコブームだなんだと言って、最近やたらと「マイ○○」を見るようになった。
マイボトルやマイ箸など…。
あれは単にみんなのエコ意識が高まっているから流行っているのではなく、他人を排除した「自分専用の空間」を作ることでなんとなく安心感を得ているから流行っているのだ。
さらに究極なのは、昨日のワイドショーで特集していた内容で、「トイレで飯を食う学生」だった。
一人で食堂で食べているところを友達に見られるのは嫌だから、という理由(繊細というべきか、アホらしいというべきか、ヤレヤレ)から誰にも見られない個室のトイレで食べるのだという。
トイレの「個室」というポイントに着目したところがなかなか斬新だと思うが、果たしてそれだけが「便所は入れるところではなく出すところである」という基本を覆す要素となりうるのだろうか。
とにかく個人化が始まってからもう何年も経つが、どうやら衰えを知らないようである。
これからも個人化は進んでいくであろうし、個人化を狙ったビジネスも発展して、それがさらに個人化を促進するだろう。
例えば先ほどのトイレは、入れるところではないが居心地がいいのは確かである。
ひとたび洋式便器に腰掛けて「ふぅ」とため息をつけば、たとえ便を出さなくとも心が安らぐものである。
広くて綺麗なら、の話だが。
僕は個人化の時代に生まれ育ち、個人化のいい面もよくわかるのだが、社会風潮としてこれがどんどん浸透していくことは嫌なのである。
だからもし自分がそういうような事業に注目したとしても、僕個人としては食い止めたいという思いでいるのである。