のなめブログ

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「なんじゃ今のタラタラした走塁は!」

男はフライパンを振りながら、TVに向かって1人叫んだ。

2017年3月某日。間も無く開幕するWBCに向けて、侍ジャパンが台湾のプロ野球選抜チームと壮行試合を行っている。

その一回の表、ゲッツー崩れで生き残った一塁ランナーの巨人坂本選手、打者の筒香選手への投球がワンバウンドとなり台湾のキャッチャーが取りこぼしボールを見失った際の走塁に関して、男は文句を放ったのである。

広島カープという足で相手を撹乱させることに昔から定評のあるチームを、彼は長く応援し見てきただけあって、キャッチャーが後逸してしかもボールを見失っている間にだらっと2塁に小走りで進塁する坂本選手に、彼は怒っていた。

「菊池や丸はもちろん、新井やエルドレッドでもあのシーンなら全力で2塁に向かい隙を見て3塁を陥れようと目をギラギラさせているのに、ほんまに巨人の選手は特に日本代表戦じゃあ使い物にならんわあ!」

と、心の中でまた一喝した。

その男がフライパンを振るのは珍しいことではない。

というかむしろ、彼の家庭では彼の方が仕事から早く帰ってくるため、自分と妻の分の夕飯と翌日の弁当を彼が用意する、というのは彼にとって平日のライフワークになっている。

その癖が最近体に定着し、妻が1週間海外出張で不在にしている間でも、彼は自分の夕飯と弁当を作り続けている。

学生時代は火が怖い刃が怖い針が怖い不器用で家庭科では1か2しか取れなかった男が、結婚することはおろか家庭の中で料理を担うことになろうとは、予想もつかなかったことであろう。

予想もつかなかったのは、彼が金融機関に営業マンとして入社した当初、まさか6年目という早さで営業から配置転換されたこともそうである。

金融機関における営業マンは、新規・既存先を問わず顧客への融資による貸出金利息の獲得、保険や国債等の契約により手数料収入を得ること、そして自社の資産運用から得られる収益を狙いその資金の原資となる顧客からの預金を獲得すること、などを主な業務としている。

しかし単に貸出金利息収入といっても実際にはそのジャンルは細分化され、住宅ローンは貸出金額が1,000万円台とロットは見込めるものの金利は近年では1パーセント台を切るのが当たり前の時代になっており薄利多売でなければ儲けが生まれない、逆に一度の借入金額が100~200万円程度とロットははらないものの金利6~8パーセントといった利益率の高い消費性資金、いわゆるフリーローンまで様々な商品を併売しており、営業マンとしてはその各ジャンルにそれぞれノルマが貼り付けられており、そのどれかではなくその全てを達成しなければならない。

それに対し彼が先月より配置転換を命じられた貸付の係というのは、営業マンが頑張ってとってきた融資の案件を処理し管理するのが仕事なのである。

モノを売ってもお金を貰えなければ商売にならないのと同じように、お金を貸しても返して貰えなければ商売にならないのが金融機関であり、またその回収が一括ではなく毎月のローンという月賦の形でなされるため、借金が全額完済された時点でようやく売上、利益が立つというのが他の商売と違うところといえる。

なので金融機関の売上、利益を確立させる為には彼らのような貸付の係がその債権を管理ししっかり返してもらえるように常に動いていなければいけない。

自社の利益を守る為、あるいは自社の売上になるはずのものを不良債権化させない為、営業マンが取ってきた案件のうち回収が怪しいものに対してはストップをかけないといけないのだが、そのストップボタンを押すのも貸付係の仕事なのである。

つまり営業マンから貸付係からの配置転換は、

①案件を取ってくれば実績としてカウントされる営業係から、取ってきた案件を最後の最後までお世話する貸付係、への転換

②アクセル全開の営業係から、危ない案件に関してはブレーキを踏む役割の貸付係(ただしブレーキ踏みっぱなしでは車はいつまでも進まない)への転換

を意味するのである。

彼はそのくらい真逆の仕事に就けと、いきなり命じられてようやく3週間。

業務内容も全く違えば、その業務の引継ぎをした人間がそのタイミングで退職した為、わからないことを聞きようもない。

彼の今のストレスといったら、想像もつかないものであろう。

3試合当たり前のような顔をしてフルイニング出場でいて無安打(さっき初めてヒットを打ったが)の坂本のウンコ走塁に文句を垂れるのも頷ける。

男は明日、自身の昇格を掛けた役員面接を控えている。

配置転換により給与を大幅に下げた男が、一打逆転を信じネクストバッターズサークルに入る。

普段は口数少なく表情もあまり変えない男が、明日に迎えた昇格面接を意識する理由は、

愛する妻の顔と、

営業マンの給料を信じて組んでしまった住宅ローンの返済予定表をリアルに想像してしまうからなのであった。