のなめブログ

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にんげんです

あなたといると、ありのままの自分をさらけ出せる気がするよ

そんなような内容の言葉を、僕は実は4人もの女性から言われたことがある。

飾らなくていい、強がらなくていい、自然体でいい・・・そんなような感じのニュアンスだ。

それって、本当に素敵だと思う。

そんなにたくさんの女性に言われるなんてことは幸せなことだと思う。

だがわからない。

何故この僕がそう言ってもらえるのか、よくわからない。

僕はこのブログを見ればわかる通りの人物である。

経験豊富でないし、心にゆとりがなく、内向的だし、コミュニケーションが下手だ。

人の相談に乗れるような人間ではないし、悩みを解決したり緩和したりできるような人間ではない、はずである。

だが、現にこうして僕に心を開いてくれた女性がいるのである。

思うにそれは僕があまりにクソ人間だからなのではないだろうか。

というのは、普段僕があまりにも気張らずに緊張感もない、そして保守的でだらだらな日常を送っているがために、一般的な暮らしをしているあるいは「ガチ」な人生を送ることを善しとしている人間から見たら「自分の下にはあんな人間がいるのだ」と僕を見て安心しているのではないか、ということである。

賢くて才能もあり人当たりも良い「完璧」な人間を見ると、人は凹むものである。

そして「もっと自分はああしなくちゃこうしなくちゃ」と自己向上意欲に駆り立てられて焦り、頑張ったり気張ったり強がったりするのである。

だがうだうだと理屈をこねているだけで結局何もしないような「ダメ」な人間を見ると、人は安心する。

「自分なんかまだいい方じゃないか」と気を緩めて、肩の力を抜いて自分の弱い部分まで見せられるようになるのである。

僕は僕で、こんなふうに人に対して劣等感を持っているから、できるだけクソな人間が好きで、「完璧」と言われているような人間は毛嫌いしている。

「あの人は頭もキレて人望も厚い人間でねえ」というような奴は大嫌いなのである。

だからクソ人間も、普通人間の弱いところも、僕は大歓迎である。

そういうところが現代人の疲れきった心の隙間に入り込んでしまうものなのだろうか。

だがそれは僕の本来望むところではない。

僕は癒し系のペットではないのだ。

ありのままをさらけ出すことが、自分にとっていいことなのか、僕にとっていいことなのか、二人にとっていいことなのか。

結果的に誰に有益なのかということではなく、どういうつもりでさらけ出しているのかだ。

そんなようなところがわりと重要な気がする。