わかりやすい話をします。
今僕は手元に1000円を持っています。
君はこの1000円を僕から盗みます。
僕は1000円を失い、君は1000円を獲得します。
どちらかが得をするためには、どちらかが損をしなくてはいけないのです。
お金に限った話ではない。
幸せに関してもその論理が適用されて、誰かが幸せになるためには誰かが不幸になる必要があるのだ。
世界の幸せの総量は常に一定で、絶対数が増えるということはない。
問題は、これをどのように70億人で分配するかだ。
しかもこの問題だけではない。
幸せの度合いを0~100まで、不幸の度合いを0~-100までとしたら、70億人の幸福度数を全部足してちゃんと0以上になってくれるのかという問題である。
AさんBさんCさんといて、Aさんが100万円持っている。
Bさんは50万円持っている。
Cさんは200万円の借金を背負っている。
となると、3人の持ち金をならしてみてもみんながマイナスになってしまうのだ。
そういう現象が世界規模で、しかも幸せというはかりの上で起こってしまっては困る。
資本主義社会のエリートには、この「ならす」という感覚がよくわかっていない。
あるいは「幸せの相対性理論」という概念自体よく理解できない生き物なんだと思う。
「別に俺金持ちだからいいもん」とAさんが言ったらそれは資本主義に洗脳された頭である。
Cさんに対して「金稼げばいいじゃん」と言うのも同じである。
Cさんが金を稼いだらその分AさんかBさんが減るのに。
キリン・サントリーの経営統合の話を聞いてそんなようなことを再び考えるようになった。
世界的競争力ってそんなに大事なものなんだろうか。