強けりゃいいとか、多けりゃ正しいとか、高けりゃすばらしいとか、現実的な方が優れているとか、そういうので僕を説明しようとしたって無理だ。
弱いからこそいいとか、少ないけど正しいとか、高くない方がかえってすばらしいとか、現実離れしている方が超越しているとか、そういう風に考えられないだろうか。
優劣は、物事の一つの側面だけ見てつけられるものではない。
と同時に、自分の視点もいろいろ変えてみなければ優劣も評価も比較もできやしない。
「ドブネズミの美しさがわからねえ奴」が世の中の大半を占め、力を握っている。
僕や「ドブネズミみたいに美しくなりたい」人間がせっかく築き上げてきた価値観も、圧倒的パワーで吹き飛ばされざるをえない。
優劣のうち「劣」と判定された価値観も、物事を一つの側面からしか見ていないわけだから(だってそもそも価値観に優劣なんてないから)、無効になるはずだ。
彼らがそうであるように、僕や僕みたいな人間も一生懸命生きてきた。
だから価値観を基準に一方的に喧嘩をふっかけられても、対処のしようがない。
僕自身が「劣」だと思わないのなら、自信を持って自分を貫き通した方がいい。
本来なら。
心の豊かさ、頭のやわらかさとはそういうことであって、相対的に優れているとはそういうことなのではないか。
ただ人は1人で生きることはできない。
いくら自立が必要とはいっても、本当に自立したら生きることができなくなる。
この世の中、どうしても人は依存しなければ生きられないようにできている。
人と付き合い、人と歩幅を合わせなければいけないようにできている。
それだけに少数派の人間というのは常に自分の価値観を曲げなければならないかもしれないという危機感に追われている。
そうした苦労が、「ドブネズミの美しさがわからねえ」世の中の大多数の人間に少しでもわかってもらえたら嬉しい。
とにかく僕は劣っていない。