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お葬式

 立川先生が交通事故で亡くなった、というメールが来た。元2年A組の人も結構来るから、お前も葬式に出ろと。僕が社会人になって2年目の5月のことだ。

 高校のことなんてほとんど覚えていない。立川先生・・・そんな奴いたなあ。というか担任だったなぁ。立川先生は若くて熱心で生徒から人気のある先生だった。僕は逆に、人気があったからこそ彼が好きではなかった。どうでもいいと思っていた。この人がもし死んでも、この先僕の人生が変わってしまうようなことはないな、と高校時代から思っていた。

 こうして実際死なれてみても、別にどうこう思うわけでもなく、葬式なんか行かなくったって変わらないじゃないかと思うだけである。葬式に行くということは千葉に帰らなくてはならないということである。首都圏だから、遠くて行けないということはないのだが、仕事を休まなくてはいけない。果たして彼の葬式に行くということは、仕事を休んでまで行くだけの価値があるんだろうか。先生が生きていれば「僕の葬式なんかいいから、真面目に仕事をやりなさい」とかなんとか言ってくれそうである。

 

 結局僕は有給をとって千葉に帰ることにした。実は最近仕事が忙しくなってきていて、それに相変わらず同僚と打ち解けることが出来ずにただただストレスを溜め込む毎日を送っていたのだ。葬式を口実に休養をとれるならいい機会ではないか、ということで行くことにした。

 電車の中では仕事のことも立川先生のこともすっかり忘れて外の風景を満喫していた。しかし目的地が近づくにつれてだんだん気分が憂鬱になっていくのがわかった。高校の時のクラスメートに会わなくちゃならないのだ、しかもあの重苦しくて暗い雰囲気に包まれながら、そう考えると今さらながらに億劫になった。

 葬式の参列者は、僕が思っていたほど多くはなかった。2-Aの連中はほとんど来るから、もし来なかったらお前はKYな!というニュアンスの文章だったからここまで来たのに、実際に来ていたのは僕を含めて7人だった。まあそれでも多いほうなのだろう、みんな社会人でそう簡単に休みがとれるはずもないのだ。

「おお、久しぶりだな」

というセリフは字面だけ見るといかにも愛想の良い挨拶という風に見えるが、実際にはシビアな顔をしながら静かな声で言っているから(しかも喪服で)、すごく心持が悪い。僕は、おお、とか何とか適当なことを言っておきながら、そいつが誰だったか必死に思い出そうとしていた。顔は確かに見たことある。そして僕が高校時代苦手だった奴、ということも覚えている。そいつが付き合っていた女の顔や声まで覚えている。ただ、名前が思い出せない。そのうち何でもいいやと思うようになって、式が始まった。

 葬式は本当に嫌いだ。作法をよく知らないし、知らないおばさんが厚化粧をして泣いているし、みんな着ている服が真っ黒だ。そして長い時間暗い顔をしながらじっとしていなくてはいけない。咳くらいならまだいいが、くしゃみは是非したくない。げっぷやおならはもってのほかである。僕はうつむいている間に会社のことを考えていて、帰ったら何から取り掛かればいいのかとか、謝るべき人に謝っていなかったことなどを頭に浮かべているうちに、さっきの男の名前を思い出した。佐伯だ。そして付き合っていた女は香苗だ。苗字は思い出せない。

 懐かしい人たちを見ているうちに、僕の記憶はだんだんよみがえってきた。そういえば立川先生はいい先生だったんだ。遅刻は大目にみてくれたし、先生の弁当を半分くらい食べちゃってもあまり怒らなかった。早いうちから進路相談をしてくれた(向こうから勝手に、だが)し、何故かは忘れたが酒をおごってもらったこともあった。そしてこれも向こうから勝手に、だが、僕が佐伯にいじめられたときにかばってくれた。当時はみっともないからすごく嫌だったけど、今になって考えてみるとそこまでしてくれる先生ってなかなかいない。僕はこの時点で、佐伯は僕をいじめていたから苦手な奴というイメージが残っていたのか、とわかった。何だか知らないけど香苗まで僕に意地悪をするもんだから非常に腹立たしかった。お前ら昼間はそうやって僕のことをいじめて、夜は二人でぶっちゅっちゅかよ。そう考えると悔しくて悔しくてたまらなかった。

 僕は香苗の親友の山村さんが好きだった。山村さんは香苗と一緒にいるといつもすごく楽しそうで、笑顔が素敵で、胸が揺れて、僕を惑わせた。香苗を完全に憎むことが出来なかったのはそこである。香苗がいたからこそ山村さんは笑顔でいて、胸を揺らしていたのだ。そして佐伯が香苗に潤されていたから、僕がいじめられるのも山村さんの笑顔のためなのだ、と思えていた。その若き敗北者の発想は、今考えてみるとバカバカしくて笑いがこみ上げてくる。

 夏休み前に、僕もそれまでどこにそんな勇気を隠し持っていたのかはわからないが突然山村さんに愛の告白をして、山村さんも何を思ってそう決断したのかはわからないが、OKしてくれた。僕は期せずして憧れの女の子と付き合うことが出来たのである。お互いのことをあまりよくは知らないが、クラスメートなので全く知らないということはなくて、そういう中途半端な状態で交際はスタートした。

 ところがそこから僕の幸せな日々が始まったかというとそういうわけではなく、付き合って4日目で僕らは別れた。きっかけは本当に些細なことだ。彼女がジャニーズについて楽しそうに話をしているのを見て、僕は

「そんなにジャニーズ好きなの?」

と言った。

「うん、大好きだよ」

当時の僕は嫉妬を隠しながらジャニーズを嫌っていた。

「ふーん、でも、世界中にはもっと素敵な音楽がたくさんあるよ?」

「ジャニーズ嫌いなの?」

「うん、だって大したことないじゃん」

まるで小学生みたいな言い分である。

「だったらあたしもうジャニーズ聴かない、その代わり"もっと素敵な音楽"を教えて」

僕はこれに腹が立ったのである。

「ねえ、それくらいでジャニーズ聴かないなんて言っていいの?さっきジャニーズ大好きって言ったよね?山村さんは(下の名前で呼ぶのが恥ずかしくて苗字にさん付けで呼んでいた)僕の言葉の影響で自分の好きなもの犠牲にしちゃうの?」

「啓一くん(今まで一回も出てこなかったがこれが僕の名前である)のためだもん、啓一くんに嫌われたくないんだもん」

山村さんは僕のためならジャニーズのCDなんてどぶに捨ててやるなんて言い出すのである。僕は嬉しいような気持ち悪いような、何だかよくわからなくなった。この女はこれだけルックスが良くて性格も明るいのに、何のために生きているんだろうかと思った。これだけが原因というわけではなくて、その他にも小さな原因となるものはいくつかあったが忘れてしまった。そして僕の方から別れを切り出して、それからは一言も交わさなくなった。そして僕はというとそれから誰とも付き合っていない。

 あれは恋愛だったのだろうか。佐伯と香苗のような華やかで人から憧れられるような関係であったといえるのだろうか。確かに山村さんは僕の彼女ではあったが、恋人ではなかった。それを僕は今まで彼女の責任と考えていた。彼女の生き方がどうしても軽いように感じられて、向こうが悪いとばかり思っていたが、冷静に考えてみたら僕の言ってることはむちゃくちゃじゃないか。山村さんにはかわいそうなことをした。まあかわいいから僕なんかいなくても勝手に幸せになっちゃうんだろうけど。

 その山村さんが、僕の前の席にいる。僕は少し緊張したが、あまり意識しないようにした。

 葬式のもう一つの嫌いなところは、会食である。主催者が、参列してくれた人に精進料理を振舞うのである。そこではさっきまでの重々しい空気はどこへやら、さっき流した涙のことなどすっかり忘れてみんな世間話をしながら飯を食うのである。しかも今時は精進料理ではなく普通に肉も出る。それが結構うまい。何故僕が今このうまい飯を食えるのかと考えると、それは元を辿れば立川先生が死んだからであって、それを考えると立川先生に申し訳ない気がしてきた。周りは会話を楽しんでいるように見える。喪服なのに。すごく気分が悪い。

 赤ちゃんがジュースをこぼしてしまって、厚化粧のお母さんが大声で「あら大変」などと言いながらあせってその処理をする。その周りにいた親戚やら何やらもタオルで床を拭いたりして騒いでいる。僕の周りには元クラスメートが集まっていて昔の話で盛り上がっている。当然明るい山村さんも会話に入っている。初めは立川先生の思い出話から入ったのだがいつの間にかやれ誰が付き合っただの誰が二股かけただのくだらない話で盛り上がるようになって、僕は外を見ながら心の中で先生に謝った。こういう状況を昔は「くだらないから会話に入りたくない」と名づけていたのだが、つい最近になってそうではなくて「僕にはコミュニケーション能力が不足していて会話に入ることが不可能なのだ」ということが判明した。そんなことはどっちだっていいのだが、とにかく輪に入りたくなかった。彼らも僕を輪の中に入れようとはしなかった。

 輪に入れないからと言って他に誰か知り合いがいるわけでもないので、僕は外の空気を吸うことにした。しばらく屋外で酸素を大量に吸引してリラックスしていると、山村さんが出てきた。

「啓一くん、久しぶりだね。覚えてる?」

「あ、ああ。久しぶり」

「さっきも話題になってたけどさあ、立川先生って本当にいい先生だったよねえ」

嫌だ。何を話したらいいんだろう。誰とも話さなくてもいいように外に出たのに、これではしっちゃかめっちゃかである。その後世間話が少し続くわけだが、何を話したのかよく覚えていない。話を要約すると僕と仲良くしたいらしい。それにしても彼女は相変わらず感じのいいしゃべり方をする。

 僕は高校の時から一段と魅力的になった彼女とメールアドレスを交換して、また中へと戻った。元クラスメートたちは酔っ払っていた。何故この席で酒が出るんだ。そして何故こいつらはビールくらいで酔うんだ。そこだけ完全に同窓会状態になっていて、しかも二次会をやるというような話になっていた。僕は本当に先生に対して申し訳ないと思った。確かに彼らの方が僕より当時は先生のことが好きだったし信頼していた。僕はまったく興味がなかったけど、今になってこの状況を見ると泣きたい気持ちになってくる。葬式に二次会なんて。

 僕は精神的なダメージを抱えたまま仕事に戻った。山村さんはアドレスを交換したのにもかかわらずメールを送ってこなかった。僕の陰鬱な日々がまた始まった。

 6月の半ば、突然山村さんからメールが来た。一緒に食事でもどう?という内容だった。僕は当然気が進まなかった。僕は葬式のときに見たんだ。彼女が指輪をはめているのを。彼女には大切な人がいるはずなのだ。では何故僕と食事を?本当に仲良くしたいのか?ただ、友達としてか?昔数日間だけ付き合った人とわざわざ友達に?とにかく気分が悪かった。

 当日、また何の意味も価値も持たない世間話を永遠と繰り広げながら、彼女は最後にわりと大事なことを言った。彼女は僕ともう一度、お友達からでいいから仲良くしたいのだと。そのとき彼女の左薬指を見ると、指輪はなかった。

 僕は今後近いうちにまたこの美しい女性と付き合うことになるのだと思った。第三者の視点から見て、僕には断る理由がなかった。彼女は僕に好感を持っている。僕は若くて綺麗な女の子とセックスをしたいと思っている。それだけでこの恋は成り立つのだと確信した。ただ・・・付き合うきっかけが立川先生の葬式かと思うと、気分が重くなる。人の死がもたらした恋で、人は幸せになんかなれっこない。彼女が幸せを噛みしめることが出来るにしても、その間に僕は何かを背負っていかなければいけない。しかも彼女にそれに気付かれないようにしなくてはいけないのである。僕が幸せになんかなれるわけがない。たとえ山村さんとセックスする権利を得たとしても、だ。ああ、死にたい。この重責から逃れたい。

 僕と山村さんの暑い夏が始まる。