本能を抑えようとするエネルギーを持っているのは理性だという観念から、理性と本能は常に対極に位置していて、決して交じり合うことなく対立しているのだ、という意識が長い間僕の頭を支配していた。
しかし、実際は本能的欲望を実現しようとする動力は理性から生まれるのではないか。
例えば目の前にとても性的魅力のある女子高生が立っていたとして、僕は自己の性欲を満たすべくその女子高生に猥褻行為をはたらこうとする。
しかしそれは許されるべき行為ではないということを僕は自覚しており、ここに痴漢行為を実行するかしないか、という葛藤が生まれる。
葛藤の末、僕は被害者感情や僕自身の社会的地位を捨てる覚悟で、自分の性欲の満足を選び、痴漢行為に及んだとする。
これは本能と理性との戦いのようにも見えるが、痴漢行為を選択したのは意思的であって、つまりどちらが自分にとって有益であるかを熟慮した上での決断であるから、本能と理性がタッグを組んだ結果であると言えよう。
だから本能と理性は決して反対というわけではないのだ。
でも痴漢しちゃだめです。