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秘密の対談(その三)

私「先生、トイレから戻りました、どうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、教えて下さい」

先生「ああ、君、便所でションベン垂らし終わったか、じゃあ、早速どうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、教えよう」

私「先生、どうかお願いします、その、ションベン垂らすという表現はやめてもらえませんか」

先生「ああ、先生大変申し訳ないよ、もう二度とションベン垂らすなんて表現は使わない、もし使ったら、先生の顔にションベン垂らしていいぞ」

私「えっ、いいんですか先生、私、一度でいいから先生の顔にションベン垂らしてみたかったんです」

先生「ああ、かまわない、しかし、先生がションベン垂らすという表現を使ってしまったらの話だ、焦るんじゃないぞ」

私「すいません先生、私、多少焦りました」

先生「かまわない、人間誰だって多少焦るものさ、君は多少謝る必要はない」

私「先生は、多少心が広いんですね」

先生「先生は、多少心が広いぞ」

私「じゃあ先生、どうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、教えて下さい」

先生「アッハッハ、それじゃあ教えてあげよう、いよいよだな、パンチラの箱が開けられる瞬間だな!」

私「先生、もしかしたらそれはパンドラの箱の間違いではありませんか、だとしたら、それでも使い方間違えてると思います」

先生「そうだな、パンチラの箱ではないな、アッハッハ、パンチラの箱なんかあったら開けてみたいな、アッハッハ!」

私「先生は、そういったことにも興味があるんですか、多趣味ですね」

先生「君、それは先生に対して失礼だよ、先生はパンドラの箱にしか興味がなくて、パンチラの箱なんて本当はどうだっていいんだ、まあ、あれば開けますけどね、アッハッハ!」

私「でも先生、そんな箱ないんです、我慢してください」

先生「ああ、先生我慢するよ」

私「じゃあ先生、そろそろどうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、教えて下さい」

先生「そうだな、どうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、という話だったな」

私「はい、どうして人と仲良くするのに理由や目的があってはならないのか、という話でした」

先生「それは、人と仲良くするのに理由や目的があると、まずそれが達成されなかった時の衝撃が大きいということがあるんだ、それから、理由や目的にとらわれているとなかなか人と仲良くなんかなれない、さらにもしその理由や目的が達成された場合、それ以上発展しなくなってしまうんだ、しかしそれ以前に、我々が人と仲良くしたいと思うのは本能であって先天的な欲望だから、理由や目的なんかなくったって問題ないんだ、そうだろう」

私「そうです、その通りです、先生、私、先生のアドバイスのおかげで誰とでも仲良くなれる気がしてきました、ありがとうございます」

先生「そう言ってもらえるだけで先生嬉しいよ、先生も何だか誰とでも仲良くなれる気がしてきたよ、アッハッハ、アッハッハ、アッハッハ」

私「先生、アッハッハ」

先生「君、アッハッハ」

私「先生、アッハッハ、アッハッハ」

先生「君、何がそんなにおかしいんだ、アッハッハ、アッハッハ、アッハッハ」

続く?