のなめブログ

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黙秘権

依存したくなるのは依存されない人間だからじゃないかと思ったけど。

何かに依存していないと自分の立ち位置を確認できないのはおそらく僕だけではなく、全人類に共通することなんじゃないか。

依存することで自分が生きていることを実感できるし、依存は自分の存在証明であるとも言える。

だから人は誰しもとりあえず何かに依存する。

自分が依存できるものがなくなった瞬間にふっとこう全身の力が抜けてすべて空虚に感じられるあれは、要するに自分の存在証明だとか存在意義を失うことで、つまり肉体的には生きているんだけど精神的にはもう、死亡ってことっすよ。

そうしていつの間にかまた依存できる何かを見つけて、生き返る。

ああ、依存されるってことは、頼られるということは、甘えられるということは、とても素晴らしきことであって、この僕にさえ自信を与えることができるんだろうなぁ。

僕は依存されない人。

"人間的には好きだけど、別に依存はしない"

寄生虫みたいに誰かに依存してばかりはここまでくるとさすがにもういやだ。

ところで

人と交流をしようと思ったときに真っ先に考えてしまうのは

「この人は一体どのくらい僕と仲良くしたいのだろうか」

ということ。

これは異性に限った話ではなくて男でもそう思う。

その人がどれだけ自分と仲良くしたいのか、というレベルよりも自分がどれくらいその人と仲良くしたいのか、というレベルの方が下にあるか同じ位置にあってほしいので、これがかなり気になる。

というか自分がどれくらいその人と仲良くしたいのかのレベルは可動式なので、その人がどれだけ自分と仲良くしたいのかのレベルに合わせて設定することが出来るので、だからつまり向こうのレベルが知りたいわけなんだぁ。

そんな風に思うようになったのは大学に入って人との関係が急にぺらっぺらになってそれにショックを受けてからだと思う。

高校までは一年間動かないクラスがあったので、その中でうまく関係を築いていく必要が多少あった。

大学にはその枠がないし、どこまで関係を築いても自由なので、相手がどのレベルで設定してあるかということが非常に気になるようになったのだ。

それに、高校と比べて初対面の人と仲良くしようとする、もしくはしなくちゃならない機会が多すぎる。

相手の手の内がわからないことには、こっちはどう手を出してよいのかわからない。

しかし人付き合いとはそんなもんで、もちろん相手が「私はあなたとここまで仲良くなりたいです、でもそれ以上は仲良くしたくありません」なんて言ってくれるはずがないんだ。

だからなるべく手の内がわかりやすそうな人と絡んでいこうとするんだけど、僕にそんな選球眼があるわけないので結局は独りになる。

大学は人がたくさんいるようでいて、実は独りしかいないんだと思ってしまう。

臆病って損なことだ、本当に。

あと注文を受けたのでバイトのことにも触れておくけど

バイトは逆にね、こっちが最初に低めにレベルを設定しておくから、だいたいが相手のレベルの方が高くなって、居心地よくなったりしちゃうんだ。

そのうち自然に、大学内でのように期待とか逃避とかの切り札としてじゃなくて、ほんとに自然に心を開いてしまったりして、ますます居心地がよくなる。

やっぱりこういう人間関係の築き方のほうが自然だし、気が楽。

そう考えると大学内での僕はいつも不安と恐怖に圧迫されて、力んだ期待と甘えをもってして人に接しようとするから、だから腹が痛くなるんだ。

ったく、余計なことを考えすぎだ本当に。

ちょっと頭の回転に余裕があるとすぐできるだけの心配と注意を施す。

それが仇になってるのにネェェェェェェーーーーーーーーーーーー!

やっぱりセブンイレブンで働いてよかったと思った。

飲みが終わってから。