のなめブログ

noNameBlog

哲学の話ではない、現実の話だ

愛が何たるかを知らない。

しかし世界中では「愛こそすべて」などと叫ばれている。

愛さえあれば他はどうだっていいだとかって。

そうやって愛に絶対的な価値が置かれているが故に、僕にとってそれはいつの間にかとても胡散臭い存在となった。

人は、自分が愛とは何たるかを分かり切っているかのように僕に教えを説く。

それで僕は、ああそうと言う。

僕はひねくれているんではない。

ただ単純に愛を知らなくて、未知のものが崇められれば胡散臭いと思うのが正直な心で、それをわかっているんだかわかっていないんだかもよくわからないような奴が偉そうな口きいてわかったように僕に教えを説く姿が、僕にはとてもみっともなく見える、ただそれだけの話だ。

キリストを胡散臭いと思わない人間が世の中にこれだけ沢山いるとは信じられない。

僕はよく「もっと物事を楽に考えなよ」と物事を楽に考えすぎな人間に言われるが、楽に考えて、先入観も抜きにしてみると絶対は愛ではなく、死だと思う、どう考えてもそう。

その点、仏教はキリスト教よりはるかにすぐれていると思う。

まず愛なんて胡散臭いこと言わないし、生と死を重点的に考えている。

特に死についてちゃんと考えをめぐらしているのが偉い。

日本人は死人の命日を記憶するがアメリカ人は死人の誕生日を記憶する。

どういうわけか、愛と死を同じ天秤ではかろうとするのは僕の中では違和感がないんだよ。