自分を不幸だと思い込もうとするのをやめることにした。
自然にそう思わなくなったのだと思うけど。
どちらかといえば幸せではないんだろうと思うけど、別に自分を不幸ということにしても特に何も生まれないのでそういうことはあまり考えなくなった。
どう考えていたって、いい方向に向くことはないんだろう。
と半ば諦めることによってそれは比較的どうでもいい問題となった。
いや幸福か不幸かがどうでもいい問題ということではなく、それについて考えるということが無駄に思えてきたのだ。
世の中には色んな人間がいらっしゃる。
金持ちで幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
貧乏で幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
賢くて幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
バカで幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
恋人がいて幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
恋人がいなくて幸せな人もいるし不幸せな人もいる。
僕はたまたま頭が悪くてお金もそんなに持っていない。
もちろん恋人もいなくてたまに悩んだりもして。
それに幸せだとか不幸せだとか名前をつけて運命を決め付けたりして。
安心したり不安になるのはきっとつまらないことだと思うようになった。
「きっとわかってくれる人がいつか見つかるよ」
と励まされたりすることがある。
その人の人生経験から導き出されたアドバイスなので僕は全くそれを信じようとは思わない。
まあそうだったかもしれないなと適当に受け流しておいて、そんなわけねえだろと思いながらよろよろと生きるのだ。
何が幸せかとかはわからないんだ、自分でも。
だからそれについて考えてもしょうがないしそれでどっちかの方向に傾くわけでもない。
だいたいの見当をつけておくくらいで、あとは音楽をやって本を読んで飯を食ってしこって寝る。
精神病の人の考えることって健全な人の考えてることよりよっぽど健全なんじゃないだろうかとよく思う。
鬱の人に対して「あら大変ねぇ」なんて本気で思ってるとしたらそいつの頭は病気なんじゃないだろうかと一瞬思って、すぐやめる。
そんなことを考えてる自分は健全なのか病気なのかよくわからなくなるし、二元的な考え方は簡単に否定されてしまう。
難しいことを言ってるようで自分でもよくわかってないんだ。