ありのままの自分でありたい。
って最近しょっちゅう思うししょっちゅう言ってる。
僕は彼ほどではないと思うが結構な多重人格者だと思われる。
人と接するに当たって、その相手や環境に合わせた「自分」を作ってコミュニケーションをとっている。
臨機応変に自分の色を変えて人に合わせる。
そんなことを繰り返していくうちに、どれが本当の自分の色だったかわからなくなる。
賢い人は「どんな自分も本物だよ、うその自分なんてないんだよ」と言って解決出来る。
どんな色を持っていたとしても結局全部自分であるというこの論は当たり前といえば当たり前だし、物理的というか現実主義的だなあと思える。
しかし僕はそんな現実を見ることが出来ない。
「自分の中にも嘘の自分と本物の自分がいる」と夢を見てしまう。
なので「自分の中にも嘘の自分と本物の自分がいる」と仮定して「素の自分とは何か」について色々考えてみた結果、気を遣わない時、気疲れしない時の自分が「素の自分」なのではないかという答えがあみ出された。
僕は放って置くとすぐに人に無駄な気を使ってしまうし、「今ので嫌われちゃったかなぁ」とか余計なことをすぐ考えてしまうので、気疲れすることが多い。
僕の場合、「ありのままの自分」でいるためには、意識して無駄なことを考えないようにしないといけない。
しかしそれを「意識する」という行為自体気張っていてありのままじゃないんじゃないかとも思う。
意識して作り出された「自然体」は自然体といえるのか??
僕は、髪型、服装、言葉遣い、行動などすべてにおいて気張らずに「自然体」でありたいと考え、そのように努力している。
「自然体」であるということは、お金も時間もあまりかからないし精神的に楽なことは楽であるのだが、「意識した上での自然体」というのはどうも矛盾が生じている気がする。
しかしまあそこまで考えるとさすがに屁理屈で机上の空論だとも思うのだ。
それに「ありのまま」と「自然体」はちょっと違うと思う。
てなことを無意識のうちに意識してしまっている現在の俺は「ありのまま」なのか、そうでないのか。