台所に立ち、まな板の上に転がっている包丁を眺める。
この包丁を額の辺りからくるっと一回りさせたら、頭を切り開くことが出来るんだろうか。
そのとき僕はどの時点で死ぬことになるのだろうか。
酔っているんではない。
普段からふとしたときによくこういうことを考えるのだ。
そして考えているうちにいつか本当にやってしまいそうで怖い。
今まで幾度となくそういった危機はあったもののここまで生きてきてしまったのは、勇気がない所為なのか理性が強い所為なのか単なる偶然なのか、わからない。
僕は人に「頑張って」と言われるのが好きではない。
別に頑張ってほしいと思ってないのに「頑張って」と言っているように思えてならないのだ。
それに何といっても、「頑張って」と言われたことで突き放された感じがする。
「私は何も関与しないから、あなた独りで何とかして」と言われているような感じがして、まあそう言いたいのだろうが、それ故に嫌いだ。
僕には、「私にとってはどうでもいいことだから、知らない」と言われているように聞こえるのだ。
「頑張って」という言葉は表では励ましているようでいて、実は突き放しているのだ。
そういうことから僕は本当に頑張ってほしい人に対しては「頑張って」などと安易に言わないように気をつけているのだが、どうしても言葉が見つからないときはついつい口に出てしまう。
「頑張って」と同様に「大丈夫」「何とかなる」も、僕はどうでもいいことに使う。
というか励ましの言葉って全般的に励ましになってないんじゃないかと思うんだ。
上からの目線で励まされたり慰められたりしてもムカつくだけだから。
かといって凹んでいたり精神的に参っているようなときに「気持ちわかるよ」なんて言ってわかったつもりになられても、それはそれでムカつくし何かかっこ悪いと思ってしまうから、人を励ますのって難しいなと思う。
でもやっぱり励まされたい、慰められたいと思う自分がいて、何だ欲張りなだけじゃないかという結論に至る。
さるべき時間にさるべき人材が見つからなかったので、独り酒を飲むことにした。
それから父の録画しておいた新ドラマを見て、ああ長澤まさみはかわいいなと思いながら酒とつまみを消化していく。
ドラマが終わり、精神もいい感じにおかしくなってきたところで今日の記事の最初の包丁で頭を切り開くシーンがやってくるのだ。
酔っているんではない。
うまくいかないことばかりで、普段からふとしたときに残酷なことを考えてしまい、すぐに胸を痛めるのだ。
こう精神の不安定なときに、眠ってしまえばそんなこと忘れてしまうものを、マスターベーションをすればいくらか落ち着くのではないかと思ってオカズを探す小旅行に出る。
僕はDVDも本も持っていないから、そういう時はケーブルテレビのエッチなチャンネルかパソコンに頼る。
しかしいつも出発の時点で、マスターベーションから得られるものなど何もないということはわかっているのだ。
この日はそれで結局控えた。
寝るか。