のなめブログ

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帰国処女

村上春樹ノルウェイの森」で印象に残ったことは

死は生と対極としてではなく、その一部として存在している

そうそう、そういうことなんだよ。

それと関連して僕はこんなことを考えた。

死は生からの逃れではなく、生が死からの逃れなんではないか。

これは単に「死ぬのがいやだから生きる」という意味ではなくて、死を日常、生を非日常として考えた。

死が袈、生が晴れ。

死が現実であり、生が空想。

これだけ説明しても意味は全くわからないと思うんだけど、これは要するに死の持つ有益性について考える時間と生の持つ有益性について考える時間のバランスの問題なんだ。

だから「死は生からの逃れ」と比較出来るものではないんだが。

「死んだ方がオトクだ」と考えてる時が通常で、「生きてる方がオトクだ」と考えてる時は異常事態なのだ。

死の有益性から逃れるために生の有益性が存在する。

死からの目線での「生は死からの逃れ」ということなんだが、もちろん死ぬのが怖いから生きているというのもあって、言ってるオイラもよくわからないけどねー。

ただ、今さら「こういう人間になりたかった」とかってのは思わないす。