僕が持つ偏見は、ほとんどが世間から見たらくだらないものです。
そういうくだらない偏見をたくさん持っているので、彼らから見たら逆に面白いかもしれません。
だから僕はブログでそれを発信してエンターテイメントを提供します。
しかし僕が持つ偏見は、すべて本気でそう思っているわけではないのです。
もちろん本気で偏った考え方をすることもたくさんあります。
「筋肉はだせー」というのは本気で思っています。
「テニサーはヤリサー」というのは本気で思っていません。
ちょぴっと気にしたり思ってみたりするくらいで、別にそれにとらわれて行動範囲や思想範囲を著しく狭めたりってことはないです。
僕が持つ偏見の半分以上は僕にとってもどうでもいいことで、くだらないと思います。
心に余裕がないので僕は色んなことが許せなくて納得いかないです。
でもそういうことたちは別に僕に許されなくてもいいんです。
奴らはそういうことお構い無しに僕をいらいらさせるので、僕が許せようが許せまいが関係ないのです。
そういうことを踏まえた上で、僕は色んなことが許せないので、その辺の心を閉ざしたネクラ野郎とは違うつもりでいます。
僕だって今年初めに、「心開いて行こう」と自分に誓ったんですよ。
でも学校が始まって2日で失敗しました。
色んなことを許容できる広い心を持つことと、色んなことに抵抗するのを諦めることは違うんですか。