のなめブログ

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消化して、消化して。

新宿club doctorでのライブが終了した。

ここでこの夏に我がバンドTHE MUSICIANSが出演したライブを振り返ってみようとしてやっぱりやめてみる。

俺が最初に曲を作ったのは高校一年生の時。

その頃はとにかくただただ自分で曲を作れるということが嬉しくて楽しくてしょうがなかった。

その曲は人にきかせる機会がなく、世界中でただ一人自分しかその曲を知らなかったので、完全に自己満だった。

自分が満足するための、自分のための曲作りだったため、俺は曲を作るという行為はある意味「自慰行為」だなと思うようになった。

俺は高校時代バンドの部活に入っていて校内でライブなども行ったことはあったけども、自分のオリジナルの曲を人に初めてライブできかせたのは高一の終わりのころだった。

その後気の合うバンド仲間とも出会い、やはり校内ライブで自分の曲を披露することはあったが、それでもオリジナル曲の主役は間違いなく俺であったし、聴き手がいても「自分のための曲作り」というのは変わらなかった。

高校を卒業するとき、初めてライブハウスを借りて学校の外でお金をかけてライブをやった。

それまでの俺のバンドはメンバーや名前がコロコロ変わっていたのだけど、このライブの時に組まれたのが現在まで続く「THE MUSICIANS」だった。

このときはちゃんとボーカルがいた。

今は浪人して勉強中なので彼はバンドには一切関わってこないが。

ライブハウスは西荻窪にある「Terra」。

卒業コンサート」という名前で、所属していた部活の卒業生部員によって行われたライブだった。

このライブではチケットを売るのが本当だったのだけど、俺は「聴き難いものを見てもらうのに何故お金を貰う必要があるか」と言いすべて自己負担して知り合いに無料でチケットを渡した。

今になって考えるとこのライブはブルーハーツのカバーまでやってしまったし、今までの文化祭のライブを外でやってみちゃいました的な存在だった。

曲作りの面ではオナニーに変わりなかった。

大学に入ってからTHE MUSICIANSは友人須藤からの誘いのお陰もあってようやくライブハウスでお客さんからお金をもらってライブをするという活動を始めた。

これは非常に大きなことなんだ。

お金を貰うか貰わないかという違いは案外大きいもので、お客は自分を犠牲にしてまで見に来てくれているわけだから、こちらとしてはその犠牲の部分を埋めるようなパフォーマンスをしなくてはならない、という責任感が生まれるのだ。

もちろんそれはライブ中のパフォーマンスだけにとどまる問題ではなく曲作りの面や過去の曲のアレンジにも影響してきた。

初めて客というものを意識して曲を作れるようになったのだと思う。

ここでの「曲を作る」という表現は歌詞を書いたりアレンジを加えてみたりするのも全部含めての話だ。

「自分のための曲作り」ではなくなり、ある程度「見てくれる人のための曲作り」という意識が生まれたことというのは、自慰行為ではなくなり、ちゃんと相手のいる性行為への成長と捉えてもいいかもしれない。

つまりある意味では俺はこの夏童貞を捨てたことになるのだ。

今までの、頭の中でなんとかかんとかっていうバンドを組んで頭の中で勝手に自分が人気ロックミュージシャンになってその姿に自惚れるという時代が幕を閉じた。

イメージの世界が現実の世界になり、少し大人になった。

とはいえ「見てくれる人のための曲作り」と言ったってやっぱりそこには自分がいないとダメで、結局「自分のため」というのが根底にないとダメなんだ。

自分が快感を得られずに相手だけイッてしまうなんていいセックスとは言えないのだろう。

いやよく知らないけど。

自分も満足向こうも満足でないと納得は出来ないんだよ。

そういう欲張りな気持ちはあるのだけど俺は今のところどっちかに偏ることしか出来ない。

そんな葛藤もある中で、おそらくTHE MUSICIANS今年最後の出演となるであろうライブが終了し、これからはしばらく凍結期間に入っていく。

もちろん俺は曲を作り続けるだろう。

しかしそこに客はいない。

ようするにまたオナニーの世界に戻っていくのだ。

しかしそのオナニーだって童貞を卒業する前と後では全然違うものになるであろうはずだ。

今の俺はもう経験済みなわけだから、そんな俺の自慰行為から繰り出される音楽が一体いかなるものになっていくのか、全く想像がつかない。

でもきっといい方向には向いているんだろうと思う。

だからこの凍結期間は、メンバーや見たいと言ってくれる人たちには申し訳ないけど俺にとってはもしかしたらいい時間になるのかも知れない。

夢から覚めたあとのTHE MUSICIANSがどうなっているのか、ちょっと楽しみになってきた。