のなめブログ

noNameBlog

男として失格の発言をしよう

男らしい、頼もしいのが大嫌いだ。

幼稚園児や小学生の男の子はよく、男としての意地、プライドを懸けて友達と喧嘩する。

仮面ライダーごっこをするにしても、子供達はお互いに「この世で一番強い男は俺だ」という幻想を基準として本気で戦う。

たまにそれがヒートアップして、「死ね!」などの残酷な言葉が飛び出す。

これは一種のかっこつけであり、それを言うことが強い=カッコいい=男らしい=頼もしいという勘違いへとつながる。

ちなみにこの勘違いはなかなか抜けないもので、中高はおろか大学生になっても頭から抜けずに平気で汚い言葉を言うやつもいる。

俺はそれを小さい頃からカッコ悪いなぁと思っていた。

もちろんこれほど論理的な思考は伴っていなかったけど。

他にも、有言実行するのが男らしい、頼もしいという神話も浸透しつつある。

無理なことを「俺は出来るぜ」と見栄を張ってチャレンジする精神。

からしてみればすげくダサいんだけど。

男女の関係で言えば、今年自身が作った「カラオケバージョン」という曲のなかの、

「守ってやる」その姿勢が

俺は気に食わない

という歌詞や

「おごってやる」そのルールが

俺は気に入らない

という歌詞からわかるように、そういう男らしさや頼もしさの無駄なアピールがカッコ悪く見えてしょうがないのだ。

外見も、サッカー選手やサーファー、プロレスラーに見られるような自信に満ち溢れた、男らしさを全面的に不自然にアピールするような顔立ちが嫌いである。

そういうんじゃないんだよ。

男は出しゃばらないの。

俺がカッコいいと思うのは脱力系である。

肩の力が完全に抜け、何事も自然体で受けとめる。

そして決して頼もしさを感じさせないところに逆に頼もしさを感じる。

強そうじゃないしカッコいい言葉も言わない。

でも精神はすごく安定していて強い。

それが俺にとっての「男」の姿だ。

それに向かって脱力系を目指しているのだが、何故か女性はそういう内面的な頼もしさは目に見えず上っ面の頼もしさにひかれる傾向にあり、俺はただむなしくフラフラするしかないのである。