やっぱり結局は協調性を重視して生きるべきなんだと思う。
何でもかんでも価値をつけてしまうのはよくない気がするけど、俺はそう思うよ。
単にリスクが少ないからとかいう理由じゃなくて。
確かに個性のあるやつはかっこいいし美しいし憧れる。
でもそういうやつは自分だけみてればいいわけだから、気が楽だといえば楽だと思う。
協調性を重視するやつは、自分よりも周りを気にする。
というある種の自己犠牲的な意味でとらえれば、それはそれでかっこいいし美しいし憧れる。
俺は個性よりも協調性のほうが可能性を秘めているように思う。
他の人は逆だろと思うかもしれないけど。
個性の武器は自分の才能のみだけど、協調性は周りの多くの人間の才能が武器だと思う。
自分の奥底にどんどん掘り下げて生きていくよりも、多くの人間とつながりを持って外に広がっていったほうが可能性が大きいじゃん。
と思う。
つまり、個性に頼って生きることは見方によっては可能性を閉ざしているんじゃないかと。
でもいきなり外とつながりを持てと言われてもそれは難しいよなあと思う。
だから協調性を育てる前に個性を育てる(見つける)べきなんだと思う。
それが高校生でありモラトリアムという時期なんじゃないか??
ちなみに協調性の無いやつが個性のあるやつだとは思わないし、個性の無いやつが協調性のあるやつだとも思わない。
俺はたいていの人がどっちも持っていないと思ってる。
友人の話にすぐ「あーわかるー」とか「あるあるー」とか適当に相槌を打つ女の子が果たして協調性があるのかといえばかなり疑わしいヨネ。
お昼休みに一人で飯を食う男の子に個性があるとも言えないし。
そもそも個性と協調性は比べるべき単語じゃないのか??
まあ要するに協調性を持つことが大衆に流されるという意味ではないということを言いたい。
あとやたらと個性に憧れる日本人のアナタ達は個性の意外な短所も忘れずにね。
ちなみに昨日の「おじさん」の記事は単に夢と現実が逆だったっていうオチが言いたかったんじゃなくてもっと深い意味があるのだよ。
考えてごらん。
またね。