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藻糞園

課題:「うんこ」についてA4用紙1枚程度でレポートせよ

 「うんこ」についての包括的なレポートとなると、その量が膨大になってしまうことは明白である。まず何を以て「うんこ」と定義するのかから始めて、「うんち」「くそ」などの呼称の違いについても当然触れておくべきである。更には「うん、ここまででいいよ」や「うーん、こまったなぁ」などの「うんこ」に似た語の用法についても触れておいた方がよさそうだ。しかしそのようなことにいちいち触れていては制限字数以内におさまりそうもないので、ここでは「おなかは痛いのにうんこがなかなか出ないときの対処法について」ということでテーマを絞りたいと思う。もちろん「うんこ」は「人間の」出す排泄物の方である。

 このテーマについては特に誰かが論文を書いたり講義をしたりといったことはなく、まだまだ研究の浅い分野である。しかし多くの人がこの問題に幾度も直面しており、より深い研究の必要性があるだろうと考えられる。中には研究者あるいは学者でも何でもない一般人が独自の対処法を生み出しているという例もあり、それには論証も根拠もないため信憑性に欠ける部分はあるものの、非常に興味深い仮説となっている。

 ひとつは、「うんこに話しかける作戦」である。この案は役場で働くローラさんが考え出したものである。すなわち、「私のかわいいかわいいうんこちゃん、出ていらっしゃい」などとうんこに話しかけて出す、という原始的な仕組みである。しかしこれはかなり現実性を無視した仮説であるといえよう。何故ならうんこは言葉がわからないからである。

 ふたつめは、「チューブでブリッ作戦」である。これは20年以上便秘に悩まされているという珍さんの案である。たとえば我々は歯磨き粉などのチューブの中身が少なくなったときに、よく指を使ってチューブをつぶし、その指を出口の方まで移動しながら中身を出すということをやっている。珍さんの作戦ではこれをおなかに応用して、おなかをつぶしてチューブのように中身を出口まで運ぶのである。こちらは理屈ではローラさんの案よりか幾分現実的になっているが、我々が見落としがちな重要な欠点がある。それは、我々のおなかはチューブではないのである。

 みっつめは、「他のことを考える作戦」である。これは男子大学生の涼さんが考えた案である。人間には腹痛に苦しめられてトイレに駆け込んだ際、そのあまりの痛さに思わず顔を歪めて「いたいたいたいたいたい…」とつぶやく習性がある。これは心と体が連動しているのである。自分で「いたいたいたいたいたい」と言うから体も「ああ、いたいのか」と思い、自らに痛みを感じさせてしまうのである。そこで、心では全く別のことを思っていて(明日バイトいやだな、でも何でもよい。腹痛に関係なければ)、そして体が油断したすきに一気に排泄するのである。この論理には説得力があり、実行してみる価値があると思われる。

 そこである日腹痛が起こってなかなかうんこが出なかったときに、私は実際に試してみた。するとこれは確かに成功し、うんこは出た。しかし出方は中途半端で、まだ体内に残っていそうな感じがあった。この作戦は使えるとも使えないとも言いがたい、中途半端な作戦であった。

 そこで私は「しぶとく耐え、待つ作戦」を提唱する。これは、かのギルバート元大統領の孫娘の「待ってりゃそのうちうんこなんか出てくるんだよ」という発言を基盤として提唱するものである。腹痛に耐え抜けば、うんこはそのうち必ず出るのである。

このブログ女の子も読んでるのにな、たまにな。

ごめんな。