のなめブログ

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失うことには慣れている

反復と継続は時に慣れというものを発生させるが、失うことにだけはどうしても慣れられないと思う。

そんなものに慣れてどうするんだ。

すでに所有しているものを喪失する――それに慣れることは不可能だ。

喪失とは放棄ではなく、事前に失うことが予定されたものでもなく、突然のものを言っている。

じゃあこれはどうだろうか。

所有するつもりだったものを喪失する――

これは正確に言うと喪失ではない。

所有していないものは喪失とはいえない。

好きな異性に恋人がいるとわかったら、それはその人を失ったとはいえないのだ。

それは主観的にはショッキングなことかもしれないが、周りから見てみれば何でもないことだ。

喪失に比べればなんとへっちゃらなことか。

このくらいのことなら慣れておいてもいいのではないだろうか。

お金がたまったら買おう、と目をつけておいたCDが次に来たときにはもう他の誰かに買われてなくなっていた、なんてことはしょっちゅうある。

帰って食べようと思っていたシュークリームが母に食われていた、なんてことも記憶に残らないくらいごく普通の出来事だ。

待ち合わせの5分前になって、「ごめん今日やっぱり行けない」とメールが来ることにさえ、僕は慣れている。

はずだ。

どれもこれも、僕が最も恐れている'喪失'とはちょっと違う。

そしてこういったことには、積み重ねで慣れることができる。

と僕は強がっている。

しかし男の子なんだしもう大人ちゃんなんだから、こんなんでへこたれてたらただのウンコタレだと思う。

そんなやつぁ、いっちょ前に飯を食っていっちょ前のウンコを出すだけの、ただのウンコタレだ。

でもきっと全然ウンコたれないよりはいっぱいウンコたれた方がましなのだろう。

何の話だ